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「障害者」って、他に言い方ない?「障害者」に代わる言葉を探す旅

「障害者」に代わる「ことば」を探して

こんにちは。就労移行支援事業所のスタッフです。

私たちは日々、事業所を利用される方々と向き合う中で、支援の方法だけでなく、普段使っている「ことば」一つひとつについても、立ち止まって考える機会が多くあります。今回は、あるスタッフが長年考え続けている「ことば」についてのお話を共有させていただきたいと思います。

「ことば」の話をします。「障害者ということばが好きではないので、それにかわることばを探したいと思います」と入社時に宣言した記憶があります。支援員を始める前、障害をお持ちの方を「障害者」と一刀両断に表現することにかなり抵抗がありました。短絡的で、尊厳が感じられない、また、多様な特性を表現するにはあまりに一元的、これらがその理由でした。

ひとつの言葉でその人のすべてを定義づけてしまうような感覚に、違和感を覚える方は少なくないかもしれません。私たち支援者は、制度上の名称としてこの言葉を使わざるを得ない場面もありますが、常にその言葉の持つ意味合いと向き合っています。

海外における「障害」の捉え方とことばの変遷

世界に目を向けると、「障害」の捉え方や表現は、国や文化によって様々です。そこには、社会が障害をどう認識しているかが反映されています。

英国や米国では「できない」を意味する「disable」を使って「障害者」を表します。行政や支援機関は「ひとが障害を持っている」ことを表す「person with disability (PWD)」を好む一方で、障害者自身は「自分に障害がある」ことを意味する「disabled person」を好む傾向があるそうです。「発達障害」にも「disability」が用いられます。同じ英語圏でも近年のオーストラリアの場合、自閉症や注意欠如多動症、そして様々な学習困難を含めて全般的な「発達障害」を「neurodiversity」と表現することが増えているそうです。オーストラリアの社会学者J・シンガーの造語です。自身も自閉症の傾向があったとされるシンガーは「発達障害」を「神経(neuro)」の「多様性(diversity)」の現れ、つまり「個性」として捉え、少数民族や性的嗜好の違いのように、権利として認識されるべきだと訴えました。この少数者を英語では「neurodivergent」と言いますが、日本語には「訳」がまだありません。

「neurodiversity(神経多様性)」という考え方は、障害を能力の欠如としてではなく、脳や神経のあり方が多数派とは異なる「個性」であると捉えるものです。これは、私たちが目指す「一人ひとりの特性を深く理解し、その人らしい働き方や生き方を見つける」という支援の在り方にも通じる、非常に大切な視点だと感じています。

「チャレンジド」ということばが持つ意味

日本国内で、「障害者」の代替表現として「チャレンジド」という言葉が使われることがあります。「挑戦という課題を与えられた人」といった、ポジティブな意味合いで広まった言葉ですが、この言葉を使う際には、その背景にある本来のニュアンスを知っておく必要があります。

ちなみに、英単語の「チャレンジド(challenged)」は、文法的には副詞を供わない形容詞ですが、意味的には、障害を「共生するもの」ではなく「克服すべきもの」「打ち負かすもの」つまり障害はそもそも「あってはならないもの」という言外の響きやニュアンスがあるため、英語を話し、理解する国々では、障害者を「揶揄する・侮蔑する」ことばとしても人口に膾炙しています。

良かれと思って選んだ言葉が、意図せず相手を傷つけたり、誤解を招いたりする可能性は、常にあるということです。言葉が生まれた文化や背景を理解することの重要性を、改めて考えさせられます。

ことばを探し続ける、私たちの姿勢

では、私たちはどのような言葉を使っていけばよいのでしょうか。残念ながら、誰もが納得する完璧な答えはまだ見つかっていません。

個人的にはこの五年半、こうした「個性」をお持ちの方々とお付き合いをさせていただきました。そして、いまだに道半ば、「障害者」に代わる「ことば」を探し続けています。

大切なのは、「障害者」という言葉で思考を止めてしまうのではなく、目の前にいる「その人」自身を見つめ続けることだと考えています。一人ひとり、得意なことも苦手なことも、感じ方も考え方も全く違います。その多様な「個性」を尊重し、理解しようと努める姿勢こそが、私たち支援者に最も求められることです。

適切な「ことば」を探す旅は、相手を深く知ろうとする旅でもあります。私たちはこれからも、利用者さん一人ひとりと真摯に向き合いながら、この問いを考え続けていきたいと思います。このブログが、読んでくださった皆様にとっても、「ことば」と「人」との向き合い方について、改めて考えるきっかけとなれば幸いです。